鈴木八司:日本のエジプト学のパイオニア
鈴木八司名誉教授(1926~2010)は、日本におけるエジプト学の先駆者であり、その業績は国際的にも高く評価されています。鈴木先生は情熱あふれる活動を通して、古代エジプトや中近東の歴史の重要性と魅力を世界中に広める役割を果たしました。
ヌビア遺跡の保存
鈴木先生の業績で最も重要な活動の一つが、1960年から始まったユネスコ・ヌビア遺跡救済国際会議への参画です。その前年、エジプト政府がナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設する計画を発表したのですが、その内容は世界中に衝撃を与えました。当時から重要な史跡とされていた、ヌビア(エジプト南端部からスーダンにかけての土地)の「アブ・シンベル神殿」や「フィラエのイシス神殿」などが水没の危機にあることが分かったのです。史跡を何とか救おうと、50か国の専門家や個人、団体からなる「ヌビア遺跡救済国際キャンペーン」が発足します。
鈴木先生は、このキャンペーンに現地で参加した唯一の日本人でした。当時カイロ大学に留学中だった鈴木先生は外務省の要請により2度にわたって行われたヌビアの現地調査に参加。その結果をもとに日本政府に対してキャンペーンへの参加を進言しました。また、日本の新聞や雑誌に寄稿したり、各地で講演会を行ったりして、遺跡の重要性や危機的状況を日本国民に訴えました。
エジプト展開催にも尽力
また、1963年に東京国立博物館と京都市美術館で開催された「エジプト美術五千年展」と1965年の「ツタンカーメン展」(会場・東京国立博物館)でも開催に尽力しています。ツタンカーメン王の黄金のマスクやベッドなど45点が展示された「ツタンカーメン展」は初日の朝から1200人もの長い列ができるほどの大盛況を博し、51日間の会期中に129万人が詰め掛けたとの記録が残っています。その後巡回した京都と福岡をあわせた総入場者数は295万人に上り、日本美術史上最多の記録として現在まで破られていません。
これらの展示会の収益と民間からの寄付によって集まった112万ドルはユネスコ・ヌビア基金に贈られ、「アブ・シンベル神殿」の移設計画に使われます。そしてエジプト人々を含む世界中の人々の熱意と努力によって元の神殿が穿たれていた崖の上に移設されました。世界中の国々が協力し、この遺産を救済したことは「人類共通の遺産」である世界遺産の誕生にもつながりました。
鈴木教授は、長年にわたる研究活動を通じて多くの資料を個人的にも収集しました。彼が集めた資料群は2010年に本学に寄贈され、「東海大学古代エジプト及び中近東コレクション(AENET)」として研究や教育に幅広く活用されています。
人々の生活へのまなざし
鈴木先生は自身が行った調査結果をまとめた著書『ナイルに沈む歴史―ヌビア人と古代遺跡』(1970年、岩波新書)をはじめ、「日本の名著」とも呼ばれる多くの著書を残しています。『ナイルに沈む歴史』では、ナイル川上流へ行くためにおんぼろ船をチャーターし、時に水もなく砂漠をさまよう体験をしながらの調査旅行の苦労やそこで見知った人々とのふれあいを綴り、同年に出版された『王と神とナイル』には綿密な資料調査に立脚した古代エジプトの歴史を簡潔明瞭な文体で記しました。これらの書籍は出版から50年を経てもなお資料価値の高い学術書です。
鈴木先生はヌビア(スーダン)の調査の後、オールド・カイロ、湾岸地方、イランの考古学的調査にも参加し、ブルガリアのバルカン・小アジア遺跡の発掘などに携わりながら、各地の歴史を解き明かす研究を続けました。そして研究の根底には、歴史は普通の人々の人生の積み重ねによって培われたであるという考えが息づいていました。人々が生まれ、豊作や飢饉、災害、戦乱などに巻き込まれ、一喜一憂しながらも力強く生き、一生を終えていったこと。そして、歴史の中で権力者の横暴によって眉をひそめながらも我慢強く生きた市井の人々の営みの一つひとつの蓄積こそが、「歴史」であると捉えていたのです。先生はいつも、厳格な姿勢で資料と格闘しつつ、人々の営みへの温かいまなざしを注いでいました。
先生は、「学問としての本物のエジプト学」を学べる環境を東海大学に作りたいと尽力され、本学の付属図書館に国内有数のエジプト学の蔵書も整備されました。先生の尽力により、本学には本物の遺物に触れながら、本物のエジプト学を学べる国内有数の環境が整っており、多くの学生がこの環境を生かして学んでいます。
鈴木先生は、その業績と情熱で日本のエジプト学界に大きな影響を与えています。そして先生の残した巨大な遺産は現在も、多くの研究者や学生、卒業生たちに引き継がれています。
主な著書
著書
- 1965年
- 『ツタンカーメン展』(共著) 朝日新聞社
- 1970年
- 『ナイルに沈む歴史』 岩波書店
- 1970年
- 『沈黙の世界史2 王と神とナイル』新潮社
- 1973年
- 『大いなるエジプト』(共著)平凡社
- 1975年
- 『世界彫刻美術全集3 エジプト』小学館
- 1980年
- 『新潮古代美術館3 ナイルと王のエジプト』(共著)新潮社
- 1981年
- 『西アジア:中東の現状を理解するために』旺文社
- 1982年
- 『世界の聖域1 聖都テーベ』(共著)講談社
- 1983年
- 『岩波グラフィックス19 古代エジプトへの旅』(共著)岩波書店
- 1996年
- 『世界の歴史と文化 エジプト』(監修・著)新潮社
- 1997年
- 『遥かなるエジプト展‐古代人の生活を探る‐』展示会図録(共著)NHKプロモーション
- 1983年
- 『古代エジプトへの旅』(共著)岩波書店
翻訳
- 1979年
- 『ピラミッド』(マコーレイ著) 岩波書店
- 1995年
- 『エジプト -驚異の古代文明―』(シリオッティ著) 新潮社
編著・監修作品
- 1979年
- 『エジプトとオリエントの美術』グランド世界美術2 講談社
- 1987年
- 『古代エジプト展 オランダ国立ライデン古代博物館所蔵』展示会図録 東京新聞社
- 1995年
- 『ピラミッド』(プットマン著) 同朋舎出版
- 1996年
- 『エジプト』(ガリマール著) 同朋舎出版
- 1996年
- 『古代エジプト展 オランダ国立ライデン古代博物館所蔵』展示会図録 東京新聞社
- 1999年
- 『ミイラ解体』(テーラー著)学藝書林
- 1999年
- 『パピルス』(パーキンソン&クワーク著)学藝書林
- 1999年
- 『病と風土』(ファイラー著)学藝書林
- 1999年
- 『船とナイル』(ジョーンズ著)学藝書林
- 2005年
- 『ピラミッド事典』(パトナム著) あすなろ書房